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わたしが一番きれいだったとき~終戦記念によせて。

2011 - 08/16 [Tue] - 11:05

(読売新聞 論説委員 天日隆彦 連載「昭和時代」より一部抜粋)

わたしが一番きれいだったとき

茨木のり子の詩


わしが一番きれいだったとき

街々はがらがら崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした



 詩人、茨木のり子の代表作『わたしが一番きれいだったとき』が58年に詩集『見えない配達夫』に発表された時、多くの同世代の女性たちから共感が寄せられた。
この詩は、やがて国語の教科書にも採用され、ファンの輪は広がっていった。
 26(大正15)年生まれの茨木は、終戦の年、数えで20歳だった。

<その頃「ああ、私はいま、はたちなのね」と、しみじみ自分の年齢を意識したことがある。……けれどその若さは誰からも一顧だに与えられず、みんな生きるか餓死するかの土壇場で、自分のことにせい一杯なのだった>

 戦後10年を経てこの詩を書いたのは、「その時の残念さが残ったのかもしれない」と、後に振り返っている。


わたしが一番きれいだったとき

だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった

男たちは挙手の礼しか知らなくて

きれいな眼差だけを残し皆発っていった……

わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた






人生のなかで一番若く美しい時代を、否応なく犠牲にしなければならなかった戦中戦後の女性たち。
そして、いまなお不自由な生活を強いられている被災地の女性たち。

まさしく「いま」その美しさ、若さを体現しているような高校1年になった我が子。夏の制服に身を包み、自転車を漕いで朝日の中を走り去る姿は眩しく見えます。
恵まれた生活をわたしたちはおくっています。
自分たちのことをたくさん、たくさん犠牲にされた、たくさん、たくさんの尊い命を繋いでもらったおかげで今のわたしたちの生活があります。

ありがとうございます。

ありがとうございます。

若く美しい女性たちが、幸せを享受できるように。
そんな未来をわたしたち大人がしっかり守らなければいけない。

たなびく線香の煙を目で追いながら、そう思いました。

戦争は

戦争を体験した人々は、昔のことを語るとき、幾つになっても
戦後にどんなに様々な経験をしてきても、必ず 戦争の時は ・・・ と
語りますよね。病棟で働いている時に、他人の私たちにさえ
おじいさんやおばあさんが語るのは、戦争のことでした。
それほどに、一生に なんらかの大きな傷跡 を残す戦争。

二度と、繰り返してはいけませんよね。

本当に。

やっこちゃん!

昔はさあ、戦争の話とか聞くのすっごい苦手でねえ。
「いい。聞きたくない」って感じだったかも。
生意気な小学生でね~~~修学旅行先の長崎でも「押しつけないで」なんて思ってたよ><。
原爆資料館とかで悲惨さに胸を痛めつつも、先生たちの望む感想を言えない……というか、こういうこと言ったら大人は安心するんだろうなあ……なんて、わざと斜にかまえるお年頃でもあったなあ。
いま思い出すと恥ゅかち~~。

実家の母方の祖母がもう94なんだけど、まだ健在でね。
それこそ戦争のまっただ中に無我夢中で生きた人だよね。
いまは本当に戦争を経験したお年寄りを大事にしなきゃと思う。もちろん若者の未来も^^。

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