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「初老」天水四十にして惑わず?

2007 - 12/04 [Tue] - 12:40

リカちゃんと天水は、今年晴れて二度目の成人式を迎えた。
リカちゃん40周年。」
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リカちゃんは今すてきなレディになるために、世界を修行旅行している。
現在はロンドンに留学中だ。
同じ40歳でもえらい違いである。(うらやましい…)
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読売新聞の編集手帳によると、
”源氏物語に
「今年ぞ(光源氏が)四十になり給ひければ、御賀の事…」
とある。
「賀の祝い」とは長寿の祝いを指す。40歳から10年ごとに祝い、四十の賀を「初老」と言った”
と書かれている。

40で初老とは現代社会では考えもつかないが、肉体だけではなく、昔の人は精神年齢も「老」と言われるほどに高かったのだろう。
老とは老いるという意味だけでなく「物事をよく知っている人」という意味もある。
ふだんあまりに恵まれた生活をしているせいか、自分が40年間生きてきた(生きてこられた)重みなど、まま感じることもなく日常を送っている。
老化に顕著な兆しは見えないにしても、40という人生の分岐点に立った現実をもっと真剣に捉えるべきなのかもしれない。

若い頃は情報に振り回されて生きていた。
流行と呼ばれるものの波に乗り損ねないように、社会と呼ばれる人間関係から落ちこぼれないように、いつもきょろきょろ落ち着かなくしていた。
素人のバスケットボールのチームのように、ボールがあっちに転べばわーっと群がり、こっちに転べばきゃーっと群がる。そんな日常。

現在では更に溢れる情報の質と量に翻弄されがちだけれど、自分の中で自然と無益な情報は淘汰できるようになってきた。
いや、無益と思えるようになったと言うべきだろうか。
有名な孔子の論語「四十にして惑わず」
とはこういう心境のことを言うのではないかな、とふと思った。
そして誰しも数十年を生きれば、こんな心境に達するのだろう。
それがちょうど40年目くらいということだろうか。

「初老 天水四十にして惑わず」(笑)
理想論だとしても胸に留めておく価値はある。

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